サブプライムローン問題の経緯

とりいそぎ、備忘(主に、8月19日付け日経新聞より)。
整理ができたら、きちんと分析したい。




2006年

12月   米国で専門の中小金融機関が資金繰りに行き詰まり、業務停止

12月末  住宅ローン全体の約13%を占めるサブプライムローンにおいて利払いが3か月以上滞る延滞率が13%を超えた。担保住宅処分後により8割は回収できるとされるが、その想定が甘いとの指摘も(日本経済新聞2007年3月19日による)。


2007年

2月    業務停止中の米中小金融機関が、米連邦破産法に基づく資産保全を申請

2月下旬  米大手証券ベア・スターンズ傘下のヘッジファンド2社で問題が表面化

3月13日 ニューヨーク証券取引所、経営破たんの可能性からローン大手のニュー・センチュリー・ファイナンシャル上場廃止と発表

3月14日 日経平均は前日比501円安

3月20日 ローン大手のピープルズ・チョイス・ホーム・ローンが、米連邦破産法の適用を申請

4月2日  ニュー・センチュリー・ファイナンシャルが米連邦破産法の適用を申請

6月中旬  ベア・スターンズ傘下のヘッジファンドが経営難との報道が相次ぐ

6月22日 ベア・スターンズが、傘下のファンド2社への資金支援を発表

7月10日 米格付け大手ムーディーズ・インベスターズ・サービスが、サブプライムローンを組み込んだ住宅ローン担保証券を大量に格下げ

7月18日 バーナンキFRB議長が、議会証言で問題に対応すると発言

7月19日 バーナンキ議長が、問題による関連損失が最大1000億ドルとの民間試算があると発言

7月25日 野村ホールディングス、問題の深刻化で1−6月に累計約720億円の損失を出したと発表

7月31日 ベア・スターンズ傘下のファンド2社が、破産法の適用を申請

8月上旬  ドイツ中堅のIKB産業銀行が損失を出し、政府系金融機関による資金支援の方針が明らかに
      仏保険最大手のアクサが関連投資で損失を出したことが明らかに

8月3日  S&Pがベア・スターンズの格付けを引き下げ方向で見直し

8月6日  米REIT大手のアメリカン・ホーム・モーゲージ・インベストメントが、米連邦破産法の適用を申請

8月9日  仏銀最大手BNPパリバが傘下の3ファンドを凍結
      ECBが緊急資金供給(15兆円)し、米、カナダも追随。

8月10日 ECB、FRBなどが連日の資金供給

8月13日 米ゴールドマン・サックスが参加のファンドに資本注入

8月14日 ECBが4営業日連続で資金供給

8月15日 サブプライム問題が米個人消費の減速につながるとの懸念(急激な円高

8月17日 米住宅ローン大手ファースト・マグナスが、従業員の99%・約6000名を削減、業務停止
      一時1ドル=112円に、日経平均は前日比874円安
      FRBが、公定歩合を0.5%引き下げ

金融立国のススメ

平成18年度末において、日本は、ダントツで世界一の対外純資産保有国である。

   上位五カ国及びG8      

  • 日 本 215兆0,810億円 (2006年末)
  • ドイツ 87兆8,730億円 (2006年末)
  • 香 港 51兆8,313億円 (2005年末)
  • スイス 46兆6,147億円 (2005年末)
  • 中 国 33兆9,138億円 (2005年末)
  • フランス 22兆8,189億円 (2005年末)
  • ロシア ▲ 5兆1,993億円 (2005年末)
  • カナダ ▲ 5兆6,182億円 (2006年末)
  • イタリア ▲ 6兆6,453億円 (2005年末)
  • 英 国 ▲ 61兆9,239億円 (2006年末)
  • アメリカ合衆国▲ 300兆3,752億円 (2005年末)

(注) 1. 日本以外の計数については、各年末のIFSレートにて円換算した。
   2. 台湾及び一部中東諸国等については計数が公表されていない。
(出所) 日本:財務省資料
その他:IMF「International Financial Statistics (IFS)」 他

http://www.mof.go.jp/houkoku/18_g3.pdf


そして、日本が、この対外純資産から受け取る収益(「所得収支」=利子・配当による収支)をみると、平成18年度では、14兆2500億円であり、ナント、輸出で稼ぐ額(「貿易収支」=10兆5000億円)を上回っている(http://www.mof.go.jp/bpoffice/bpdata/s1bop.htm)。

しかしながら、この約14兆円の内訳をみると、直接投資:3兆円、証券投資11兆円であり、証券投資の内訳をみると、配当金が1兆1000億円であるのに対して、利子が9兆8000億円である。これは、日本の対外純資産のほとんどが、債券で運用されているということである。

債券の運用リターンは、当然のことながら、株式や不動産などのリターンに劣る。仮に、現状の債券投資(しかも、ほとんどが米国債)のリターンが5パーセント程度だとすると、この収益率を15%にするだけで、所得収支は倍増する。

215兆円の対外純資産。猫に小判、宝の持ち腐れになるか、それとも、21世紀の日本の基礎体力となるか。後者がいいに決まっている。優秀なファンドマネージャーが切望される所以である。


貿易収支と所得収支の関係をみると、この20年間で日本の対外収支の構造が激変したことがわかる。

         貿易収支       所得収支     
昭和60年度 12兆9500億円  1兆6000億円
  ・
  ・
平成16年度 13兆1500億円  9兆6000億円
平成17年度  9兆5000億円 12兆6500億円

日本は、輸出収益ではなく、投資収益で利益を上げる国になったのである。
今後は中国やインドその他の発展途上国が世界の工場となる以上、このような日本の国際収支の構造変化の流れが進むことはあれ、戻ることはない。

しかも、少子高齢化や非製造業の脆弱性、どうもパッとしない政治・外交(苦笑)などの理由により、将来にわたって、円の価値が下がり続ける可能性は十分にある。


別に、アメリカみたいな国になればよいとは思わない。アメリカは製造業を捨てた紛れもない金融立国であり、綺麗に装った人々が行き交う都会のすぐそばにスラム街がある一方、一部の人々が使いきれないマネーを所有している。もちろん、成功者を讃える風土や寄付の精神など、見習うべきところもあるのだが、日本人的感覚からすると、アメリカは全体としてのバランスが悪いように思う。


他方、かつて世界を席捲しながらも、衰退の途をたどった元・世界の工場イギリスは、現在、金融業で世界での存在感を高めているし、近年はポンドがますます高くなっている(ポンド建ての給料だとウハウハなのになぁ)。2006年には、ついに一人当たりGDPで日本を抜いた(あぁ・・)。そんなイギリスを模範にすべしという声は多い。
ここで注意すべきは、イギリスの製造業の現状は、元・世界の工場という面影は全くないということである。MGローバーの経営破たんは記憶に新しいが、これには政府が多額の支援を行っているし、その他にも破綻企業やその社員に対して政府資金がつぎ込まれている。日本の製造業が、未だ強みを残しているのとは対照的である。
しかし、そうであるが故かもしれないが、金融業がその落ち込みをカバーし、雇用を生み出している。イギリス人の5人に1人は、金融業界で働いているという状況に至っているのである(http://www.statistics.gov.uk/CCI/nugget.asp?ID=695&Pos=4&ColRank=2&Rank=256)。
イギリスは、英語という生来のインフラに加え、取引時間がニューヨークとかぶるというロンドンのタイムゾーンという地の利を有する上に、移民を受け入れて経済の活性化につなげている(http://www.statistics.gov.uk/cci/nugget.asp?id=1311)。
なんとか大臣が一人で「日本版シティー構想」などと気を吐いたところで、どうにかなる問題ではない。


個人的には、日本は、高付加価値製造業と、サービス業、そして、金融業の三本柱の国になってほしい。


日本が二度と世界の工場とはなれない以上、「もの作り」は、高付加価値製品において活路を見いだすほかないし、現状もそのような方向に進んでいる。日本製造業が、イノベーションを続けられるかが勝負である。ただし、日本人の繊細さ、そして、細部に美を見いだす感性こそが強みであり、これは他の国々が容易にまねできない、日本人が誇るべき、そして後世に残すべき遺産である(世代交代により今後どうなるかはわからないが)。

サービス業は、生産性が低いとかなんとか言われているが、日本人の礼節・ホスピタリティは、世界でも評価されている。リッツカールトンに負けないくらいの、日本発のサービス業が出てきてもおかしくないし、そうあってほしいと願う。

他方、金融は、まだまだという感じがする。最近こそ、ファンドやM&Aに関する話題が普通になされるようになってきたが、それでもまだ、金融とは汗をかかない仕事であるとか、金で金を儲ける卑しい仕事であるなどという価値観が根強い。ブルドックソースの事件では、普段は判決文の一言一句に最新の注意を払っている裁判所までが、トンチンカンだと誤解されてもやむをえない表現を使う始末である。いわゆる知識社会へと移行していると言われる現状において、旧来の考えから脱却できないままだと、その重要性に気づいたときには手遅れになりかねない。


いずれのせよ、過去の成功体験に囚われず、現状をしっかりと認識して、それに対応しなければんらない。

進化の歴史は、我々にこう教えている。
「環境の変化に適応するために変化できるものだけが、生き延びる」

村上裁判の判決内容について

村上裁判の判決について、世間ではいろいろと波紋を呼んでいるようである。
しかし、株価も反応しなかったし、関係者は、冷静に受け止めているのではなかろうか。

そうは言っても、いろいろと考えることもあると思うので、少し取り上げてみたいと思う。世間で波紋を呼んでいる論点を挙げると、次の3点のように思われる。

1 インサイダー情報の実現可能性の有無・程度
2 ファンドマネージャーとしての活動とアクティビストとしての活動の峻別
3 村上が「ファンドなのだから、安ければ買うし高ければ売るのは当たり前」と言ったことについて、「このような徹底した利益至上主義には、慄然とせざるを得ない」と述べた裁判所の価値観


■大前提

そもそも、判決とは、当該事案の解決のためのものであり、判決全体を通して読んで、はじめて判決の真の意図・判決の射程を正しく捉えることができる。
したがって、判決要旨に関する一部報道で抜き出された個々の文言や個々の言い回しだけを捉えて論じることは、あまり有益なことではない。
このことについては、十分に留意しておく必要がある。

また、インサイダーで起訴される事件というのは、かなり悪質な事案である。つまり、村上は前から狙われていた、「村上はやばい」と噂され、多くのタレコミがなされていたということである。
結果、ライブドア事件の捜査において、今回の事件の証拠資料(主にメール)がごっそり押さえられたようであり、一部報道でも引用されていたが、言い訳できないようなメールが多数存在し(ただでさえ、『あのときのメールは、本当はこういう意図だった』などという言い訳は通用しない)、誰がどう見ても有罪というほどの証拠が集まっていた事件であった。
これらのことを総合的に考えると、村上がこのままの法廷戦略を採る限り、逆転はないと思われるし、捜査に全面的に協力した宮内氏が実刑になったことを考えると、今後罪を認めても実刑は免れないのではないかと思われる。



■論点1について、

従来、インサイダー情報には、一定の実現可能性が必要であると考えられていた。

インサイダー情報の実現可能性について判示したリーディングケースの判例は、最判平成11年6月10日(平成10年(あ)第1146号、1229号)であり、同判決は、以下のように述べていた。

証券取引法166条2項1号にいう「業務執行を決定する期間」は、商法所定の決定権限のある機関に限られず、実質的に会社の意思決定と同視されるような意思決定を行うことのできる機関であれば足りる」

証券取引法166条2項1号にいう「株式の発行」を行うことについての「決定」をしたとは、右のような機関において、株式の発行それ自体や株式の発行に向けた作業等を会社の業務として行う旨を決定したことをいうものであり、右決定をしたというためには右機関において株式の発行の実現を意図して行ったことを要するが、当該株式の発行が確実に実行されるとの予測が成り立つことは要しないと解するのが相当である。」


今回の地裁判決は、「実現可能性が全くない場合は除かれるが、あれば足り、その高低は問題とならない」旨を述べた。

証券取引法の権威である黒沼悦郎教授が、「今回の判決は、最高裁判例より、さらにハードルを下げてしまった不当な判決」と述べており(7月20日付日経新聞朝刊)、学説としては、このように地裁判決を解釈する方向に流れると思われる。

しかしながら、私見は、今回の地裁判決は正しいと思う。
なぜなら、インサイダー取引規制は、刑事罰を伴う規制であり、罪刑法定主義の観点から、明確な基準が必要であるし、そうでなくても一般の多数の投資家が関係する規制であるから、一般投資家が理解しうる程度に明確である必要があるからである。
すなわち、もし仮に、インサイダー情報の実現可能性について、「ある程度の実現可能性」とか、「実現に向けて合理的な根拠を有する程度」とか、「社会通念上、実現するであろうと考えられる程度」などという基準を立てた場合、そのような基準が具体的などの程度のものであるかは、全くもって判断不能である。取引に際して、事前に判断不能であるということは、そのような取引規制は有効かつ適切な規制たりえない。情報の受け手によっても、実現可能性に関する理解は異なるであろう。
このように、インサイダー取引規制において、インサイダー情報の実現可能性を論じることは、全く実際的ではないのである。

そうすると、地裁判決が正しいことは、明らかであるように思われる。


なお、今回の地裁判決によれば、「成功確率が1%ぐらいの決定を聞いたとしても、インサイダー情報とみなされることになる。」という指摘がある(大田洋弁護士の発言、7月19日付日経新聞夕刊)。

しかし、この指摘は的を射ていないと思われる。
なぜなら、上述のとおり、インサイダー取引規制における「実現可能性」とは、そもそも客観的な数字(%など)で示すことができるような性質のものではないし、一般投資家が当該数値を認識しようがない(情報の受け手によって当該数値は異なる)以上、そのような数値化は無意味であるからである。
そもそも今回の地裁判決は、「実現可能性はかなり高かった」と認定しているから、実現可能性が1%であったと認定しているわけではないし、そもそも実現可能性がどの程度必要であるかという論点についての一般論は、ちょっと踏み込んで述べた、という位置づけにすぎないといえるから、今回の地裁判決の射程については、もう少し綿密な検討が必要であろう(ただ、上記黒沼教授の発言のとおりに理解される可能性が高い)。


このような地裁判決によれば、実務が回らないという指摘も見受けられるが、仮にそれが事実だとしても、インサイダー情報の実現可能性の高低という論点で解決すべき問題ではなく、他の基準によって解決すべき問題であろう。


■論点2について

判決要旨を額面どおり受け取ると、アクティビストは活動できない、という批判が見られる。
しかし、今回の判決は、アクティビスト活動とは全く無関係であり、アクティビスト活動のあり方について何かを判断したわけではない。つまり、アクティビスト活動とは、平たく言えば、株主が企業価値向上のために経営陣にプレッシャーをかける活動である。村上ファンドは、ニッポン放送ライブドア企業価値向上のために何かをしたわけではないし、今回の裁判でもそのことが争点となっているわけではない。今回の裁判の争点は、あくまでも、ライブドアを利用して売り抜けた村上の株式売却行為なのである。
裁判所が言いたかったのは、村上ファンドにおける村上のワンマンぶりが、今回の事件を招いた遠因である、という程度のことであろう。


■論点3について

これは、判決文を読んでみないと何ともいえないが、おそらく、報道では省略されているが、量刑理由として様々な事情を認定しているはずである。
推測するに、裁判所は「村上のやり方が悪い」と言いたかっただけだったのに、ちょっと勇み足で筆が滑ってしまったというのが真実に近いのではないだろうか。聞くところによれば、今回の裁判長は、かなりクセのある方のようではある。。。

ブルドック事件の高裁判決といい、裁判所が、金融というものを嫌っている、もしくは、金融というのものについての基本的理解を欠いていると受け取られても仕方がないような言い回しが使われるのは、残念でならない。
ただ、関係者は冷静なようなので、投資が冷え込むなどということは、杞憂だと思われる。


■その他

総評としては、今回の判決は、業界にはあまり大きな影響はないのだろうと思われる。

余談だが、村上は自分のことを「プロ中のプロ」と言っていた。だが、自分のことをプロと呼ぶ人間は、プロではないことが多いということを示す格好の事件である。

ソロスと村上の格の違い

東京地裁村上ファンドの村上被告への判決が出ました。
(懲役2年+罰金300万円、MACアセットマネジメントに罰金3億円、追徴11億4900円6326円で、執行猶予なし。)


このニュースを改めて見て、資本市場について考えるいい材料だと思ったので、一言、二言、三言・・・。


まずは、ファンド資本主義の権化のように言われるソロスについて。

ジョージ・ソロスヘッジファンド悪玉論の根拠として、タイの通貨危機がよく引き合いに出されるが、個人的には、そうは思わない。タイバーツ暴落が、ヘッジファンドが悪であることの根拠であれば、それは、少なくとも現行の変動相場制を前提とする資本制度の否定であると思う。


バーツ暴落がなぜあれほどの結果になったかというと、彼の再帰性理論が正しかったからである。再帰性理論とは、一言で言えば、群集心理が現実に影響を及ぼし、それによって変化した現実が更に群集心理に影響を及ぼす、ということ。つまり、ループ現象。資産効果というやつも同じこと。

当時、タイには、ヘッジファンドのみならず、銀行や投資信託のお金(しかも短期のもの)が大量に流入していた。それは、バーツが、固定相場制により、過大評価されていたからに他ならない。過大評価が更なる投資資金を引き付け、それにより、更にバーツが過大評価される・・・。そうやって集まった金がどこに向かったかというと、そう、不動産。歴史は繰り返す。

資本主義下において、そのような歪んだ状況が放置されるはずもなく、変動相場制への移行に伴ってバーツが下がると、ドル建て債務のバーツ建て価値が上がる(=債務が膨らむ)ので、信用不安が生じ、その他の投資家も逃げ遅れまいと、次々に売りを浴びせる。みんなが売るから、バーツが下がり、そうやってバーツが急激に下がるから、信用不安はますます増大し、外国人投資家もタイ人もみんながもっと売り浴びせ、バーツの下落が止まらず、タイ経済が崩壊し、それを見た人がますますバーツを売る・・・。

結局、タイ中央銀行は、変動相場制移行に伴い20%くらいは下がると見ていたようであるが、『ミスター・マーケット』を甘く見ていたのかもしれない。対して、ソロスは、『ミスター・マーケット』を読み切っていたといえる。


ここで村上に話を戻そう。

彼は、まさに再帰過程を自分で作ろうとした。
つまり、ソロスは、市場における再帰過程を『読む』ことで利益を上げたが、村上は、再帰過程を『作る』ことで利益を上げようとした。
例えば、村上ファンドがある企業に投資し、プロキシーファイトTOBを仕掛ける。そうすると株価が上がり、もっと高値で買う第三者が現れる。そのうち、村上ファンドがある会社に投資した事実が公表されると、村上ファンド銘柄であるというだけで思惑を呼び、株価が上がる。そうすると、思惑が思惑を呼び、さらに多くの人がその会社の株を買い、株価がもっと上がる。株価が上限に近づく頃には、売り抜けている・・。

このように、村上の『作る』という発想は、インサイダー取引の発想そのものであって、捕まるのは時間の問題であったという見方もできる。また、『ミスター・マーケット』に逆らう行為に頼っていた以上、早晩限界が来ることも明らかであったということができるかもしれない。
もちろん、全く理由がないところには再帰過程は起こらないので、その意味では、割安な銘柄を発掘する必要があった。


このように、ソロスと村上の格の違いは明らかだ。
村上ファンド悪玉論は、資本主義悪玉論やファンド悪玉論を意味しない。


今回の事件が、投下資本の回収を急ぎすぎたことに遠因があるとすれば、それは、村上の責任であって、(償還期限があるとはいえ)ファンドという仕組みのせいではない。なぜなら、ファンドマネージャーは、ファンドの償還期限を見据えた投資を行うべきだからであり、また、投資の成功のためには、『ミスター・マーケット』が気づくよりも早く投資を実行し、適切なタイミングでEXITする必要があるが、投資を行うのが早すぎたということは、それはファンドマネージャーが『ミスター・マーケット』の動向を読み違えたということに他ならないからである。実際、ソロスも、たびたび「投資するのが早すぎた」という事態を経験している。償還期限があることによってパフォーマンスが下がるリスクは、ファンドによる投資という金融商品を選択した投資家が負うべきものであって、ファンドマネージャーが負うべき責任ではないであろう。ただ、そうは言っても、リターンという数字だけで判断されるのが、ファンドマネージャーのつらいところか。シリコンバレーでは、良い投資家が良いファンドマネージャー(ここではVCのFMという文脈)を育てると言われてきた。民主主義が、国民のレベルが低ければ衆愚政治となってしまうのと同様、投資家のレベルが低ければ資本市場の成熟化はおぼつかない。


人間の思惑が絡む以上、マーケットの歪みが必ず生じる。この歪みの是正を否定することは、資本主義の精神を否定することだと思う。

『完全なマーケット』なるものが存在するとすれば、それは、資本市場の参加者が、決して誤りを犯さないほどに成熟したとき、つまり、市場参加者全員が、株式、為替、その他取引の対象となるものの価値を寸分たがわず見極めることができる状態になったときに、実現するんでしょう。まぁ、そんな状況は、起こりそうにないが。。。